昭和59年12月23日 月次祭
私は昨日から身体が大変きつくて、長く座っておく事も出来ない様に躰が。やっと今日のお祭りを拝まして頂きましたが。感謝の夕べのご案内が丸少からあっておりましたが、本当に感謝で今年も締め括らせて頂かなければならんのに、身体がこんな状態ではほんと思うて昨夜の御祈念の時に、お願いをさせて頂きましたら。明治と言う事を頂いた、明治、明治何年の明治。はぁ明治と頂いたから明日は治ると。と言う事だなと思わせて頂きましたが、治ると言う事ではなかったが。
昨日よりも今日は楽でした。昨日よりも今日が楽であったと言う事を、まぁ心からお礼を申させて頂く一日でございましたが。本当に願いというものが成就すると言う事は、はぁ必ずしも自分の思う様になると言う事だけではないのですね。神様にどういう御深慮があってからの事か分かりませんから。明治とはっきり言うなら明日は治ると言われたのに、治りませんでしたと言うのじゃなくて。
昨日よりは今日はこう楽であったと言う事を、お礼を申し上げて行っておる内に、言うなら神様の願いも又私共の願いも、成就していくのではないかと思います。いよいよ年末何かと忙しい事でございますけれども、私共はお道の信心を頂いておる者、信心が身に付いておる、それが年の瀬の在り方であり元日の在り方である。いわゆる心いやなもんですね。先生も信者もこりゃ外の事も言えるでしょうけれども、「ぶる」のではなくて「らしく」振舞うらしくできると言う事。
お道の信者らしい年の瀬でありたい。お道の信奉者らしい元旦、お正月をお迎えしたい。今朝から壱岐の末永先生たちが夫婦が子供達と親子三人でお礼参拝をして参りました。入って来る時にあらぁ先月来とったばっかりなのに、今日は何んでと思うたら、あのう三人が入って来る前に大きな心と言う字が、先にこういかにも足がある様に入って来るところを御心眼頂いた。今日は何事だったのか、いえもう年末のお礼参拝をもうさせて頂きましたとこういう。
ははぁ夫婦のものがもうそれこそ心からのお礼参拝であったなぁ、と言う風にまぁ感じたんですけど。年末になったから、まl一つの形式としてお礼参拝すると言うのではなくて、心が先に立ってのお礼参拝。それが形の上にも伴ってくる。年末としてのま又は元旦を迎える心の上にも、それで結局お道のいわば信奉者らしいお礼参拝。私は今日喜久雄先生たち夫婦の場合なんかは、心からのまぁお礼参拝が出来たんだなぁ、と言う風に思わして頂きましたが。
まぁそれがいわゆる「ぶる」のではなく、らしく振舞うと言う事はどう言う事なのかなぁと思わして頂いたら。手元足元と言う事を頂いた。まず自分の手元足元を大切に又は足元を見詰めての、お信者らしい例えば先生なら先生らしゅう、自分の手元足元を見詰めずして振舞っておると、言わばそれが「ぶる」事になるのです。「ぶる」と言う事はやはりいやなもんですきざなもんですす。
いよいよ本年も僅かをいわゆる本当にお道の信者らしい、合楽で信心の稽古をしておる者らしい、年末年の瀬でありたい。またそういう心で、一つ元日を新しい年をお迎えさせて頂きたい。お道の信奉者ならでは合楽の信奉者ならではの、お正月でありたい年の瀬だありたいと言う風に思います。それには先ず先ず、手元足元を本気で見極めさせて頂いて、「ぶって」おるのではないか、「らしゅう」あっておるかを確かめながら、おかげを頂きたいと思う。
どうぞ。